书目

日本語の起源 新版

内容简介

本書で大野博士は、日本語の或語が何故そのやうな語になつたのか、を説明してゐます。即ち、日本語の多くの語がタミル語由來の語である、と云ふのが本書の結論です。中央公論社版の「日本語の成立」等と併讀すると解り易いでせう。日本人が複數の民族の混淆で成立してゐるやうに、日本語も複數の言語の混淆で成立してゐる。『日本語の起源』で大野博士は、日本では、南方起源の言語が普及してゐたところに北方起源の言語が蔽ひかぶさつたと推測してをります。その「南方起源の言語」はどうやらタミル語と關聯があるらしい、と云ふ事で、大野博士は数十年來、タミル語に取つ組んで來られた。この本を讀むと、「假名遣のルールを作る」等と言つてゐるのが、全く馬鹿らしくなります。日本語の語彙は全て何らかの言語に由來してゐる。ならば、日本語獨自のルールなどと云ふものは存在せず、ただ單に輸入のルールだけが存在する事になります。日本語の全ての語彙を一語一語檢討し、元の言語から日本語の語となつた經緯を調査する事で、假名遣は自動的に決定されます。誰にも文句の附けやうのない「假名遣の規範」が完成する筈であります。問題は、さう云ふ研究を行ふ手間と暇をかける事が許されない、と云ふところにあります。「規範は大事だ」と云ふ考へ方よりも「今すぐ使へる規範で十分だ」と云ふ發想が、現代では「常識」です。また、そんな研究を「する事」が認められたとしても、研究成果が認められるとは限りません。常識を疑ふ能力のない人間も、實證的で科學的な調査を疑ふ惡癖だけは持合はせてゐます。さう云ふ人間は、きちんと研究結果を調べずに(或は、研究結果を判斷する能力もないくせに)、斷定的に「そんな研究は嘘つぱちだ」と言ふ。そして、現代の日本人は、さう云ふ非科學的な人間が大半を占めてゐるのであります。何の根據にも基いてゐない「現代かなづかい」を平然と受容れる日本人しかゐない現状を見れば、「正しい假名遣の規範」を作つても、全くの無駄でしかないでせう。大野博士の調査も、せいぜい「面白い研究だ」の一言で片づけられるだけでせう。特定の範圍の知識を收集する「專門屋」全盛の日本國で、幅廣い分野に渡る知識と横斷的な調査能力を持つた研究者は育ちません。もしゐても、その眞價を認められる人間がゐません。日本は近代社會だと言つても、そこに近代人がゐません。

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